書く、書く、書く

@自宅デスクより

書く前にすることは何か?

問われたら、
あなたは何と答えますか?

以前の私ならば迷わずリサーチ

と答えたと思いますが、
実は最近変わってきました。

自分のスムーズに書けてる時、書けてない時を振り返ってみたら面白いことがわかったんです。

それは・・・

手段が違った

どういうことかというと、キーワード検索や、書籍等々のリサーチ情報をピックアップしていくにしろ、プロジェクトを組み立てるしろ、どこかにそのパーツを記録していきますよね。

で、その際まとめていくツールの選択肢として、

Mac
iphone
iPad
手書き

の4択が私にはあるのですが、この時どの手段を選んでいるかによって違いがあったんです。

どう違った?

結論から言うと、頭の中で情報の整理する際にMac、iphone、iPadのデバイスによる手段を選んでいる時はビジュアルでみえないというか、平面的で記憶を呼び覚ましにくい感じ。

それに対し手書きをしている時は、その時描いた図形、色々思い巡らしながら自分がグリグリ黒丸を太くしたところ、下線を引いたところ、文字を大きくしたところ、書き損じたところ、それら全部がビジュアルで引っ張り出せる感じです。

わざわざEvernoteにコピペしてあったコピーをみたり、ブックマークしてたサイトに行かなくてもすぐその時の情報にアクセスできる感じとも言えます。

もうちょっと言い換えるならば、同じ内容でもデバイスでまとめた時は「疑似体験」。に対し手書きの時は「実体験」の記憶。というんでしょうか。

これは感覚、体感ではありますがはっきりと違いを私は感じています。

それに加えて、

この手書きに加え、もう1点。ライティングし出す時「書く」ときに違いがある、「書く前にしてること」がありました。

それは、

「書くこと」

なんだか禅問答みたいになってきましたが、どう言うことかと言うと。
はっきりした言語化になりきらない時点から、もやもやの不完全なままとりあえずバンバン書き出してる時と、頭の中で「あーでもない、こーでもない。」と部屋の天井を見つめたり、マックの画面を凝視してこねくりまわしてる時で違いがありました。

どちらが時間を忘れ没頭して「書く」ことができるかというと、不完全なままバンバン書き出すアウトプットをしている時。

書き出すこと、手を動かすことは本能?が「いや、書くまでもないんじゃない?」「もうちょっとまとめてからでよくない?」と書き出さなくてもよい理由を自分の内側が囁いてくるので、「そうだよね」と納得させられてしまうことがありますが、

囁きを交わしてとにかく書き出すことには大きな違いがありました。

この時の状況を客観的に整理してみると、

・不完全でも書き出すときには何かしらの言語化をしている。

・言語化をして書き出すうちに、とりあえず気に留めず書き出していた言葉との意外な接点に気づく

・その意外な接点のある言葉、よく出てくる言葉で固まりができ始める。

ベネフィットやビッグアイディアが見えてくる

このようなプロセスを経ていることが多いです。

結局何が違ったか

それは、「身体をともなった言語化」そう今回の記事を書きながら私は言語化しました。

自分自身が目で、耳で、肌で体験、体感した経験。これに勝る記録、記憶、情報はありませんが、手を動かしとにかく書き出すという身体行動を伴うことによって、LPやVSL、スライド、様々なライティングをしていく時に、明らかな違いが生じるのだと今捉えています。

だから、

(本題を)「書く前にすることは?」

「書く」

「書く、書く、書く」

私たちライターは書くに尽きる。

徹底的に書くに尽きる。

それが答えなのではと。
そう思う次第です。

PS

ここまでいうならやるしかないやろ。そう覚悟を決めたい方はこちら